店主コズエ50代
生理痛・子宮内膜症からの脱却
毎月”痛み止めを飲む”
生理になったのは中学2年生。クラスで一番遅かったように思う。
その頃は生理痛というものはさほど感じて居なかったけれど、高校進学あたりから痛みが出てきた。
体育の時間はお休みすることもあった。でも恥ずかしくてがんばっちゃたりも。
もちろん痛み止めは飲んでいて、毎月1日目〜3日目くらいは飲んでいた。2日目だけ痛みがひどいという月もあったりもした。
個人差はあるものの『生理痛があるのは普通のこと』と捉えていた。
母親だって「お腹痛いならお薬飲みなさい」だった。
毎月やってくる生理が恐怖
現在50代の私、20代の頃は1990年代。
パソコンがやっと普及しだした、そんな頃です。スマートフォンなんて存在してないですよ?笑
そんな時代ですから”情報”なんてものも今のようになく、知らないことだらけ。
『生理痛があるのは普通のこと』と思っていたから、病院へ行くわけでもなく、お薬飲んでやり過ごしていればどうにかやり過ごせる。
でもそれは毎月やってくる。1年に1度のイベントより、季節の変わり目より多い、毎月だ。
毎月やってくるから、学生だったころは授業を休んだり、保健室で寝てたり、学校自体を休んだり。
普通に過ごせないことで【生理が来ることが恐怖】を覚えるようになっていきました。
電車の中で気絶する
会社に勤めだしても生理痛は相変わらずでした。むしろヒドくなっていってる感じがありました。
通勤は毎朝満員電車でした。
2回くらいですが電車の中で痛みに耐えられず”気絶”しました。
漫画で乙女がふらっと気を失うというちょっと憧れちゃうアレです。
でも、気を失ってもイケメンが抱きかかえてくれるなんてことはなく、人と人との隙間に挟まってました笑
そしてがんばってホームに出てまた気絶。
気づいた時には救急車の中でした。
気絶を経験すると気絶に慣れて、気絶するほどの痛みが分かるようになりました。
なので「これは気絶する」と分かった瞬間には座るようにして、救急車を呼ぶような事態になるまでにはしないよう回避できました。
そんなことにも人間って慣れちゃうんですね。
子宮内膜症という診断
会社勤めなので会社の健康診断を受けました。
婦人科系でどうしてもひっかかる。。。
でも病院が嫌いで、若かった私は”まぁいいか”なんて思って、何年もしっかり婦人科をうけることはしませんでした。
でもあまりの生理痛にとうとう婦人科を受診します。
そこで言われたのが「子宮内膜症」。
ただの”生理痛”と思って居たのは”子宮内膜症”だったからだった。しっかりとした?病気でした。
女医さんは「今すぐ治療自体ははじめたほうがいいですよ。」と治療方法を教えてくれました。
でも私、痛み止め飲むこと自体がすでに”良くないこと”と思っていて、罪悪感すら覚えていたんです。
今でこそ知識があるから、薬を飲むことで免疫力が下がることを知っていますが、そのころは知らない。
それでも薬は毒にもなるということだけは分かっていました。
なのでもう痛み止めを飲むということだけで心の許容量超えてたんですよね。
足が冷たいことに気づく
お風呂に入ると、ホッカイロを腰に貼ると、温かいものを飲むと痛みは少しやわらぐ。
「あぁ、温めると少し良いんだ。。。」そんなことに気づいた頃、毎朝起きた時の自分の足の冷たさに気づく。
生理がある子宮ももちろんだけれど、足が冷えている。下半身がとにかく冷えている。
生理痛=子宮の問題 というわけじゃないんじゃ?と思い始めた。
そこでカラダを温めるということを始めだした。
サウナ・ホットヨガ・岩盤浴。
サウナは息が熱くて苦しいのですぐやめました。
ホットヨガは回数券買って通ってみたけれどやっぱり息が熱いのでやめてしまった。
岩盤浴は気持ちよかったけれど、カラダの中までという感覚までにはならなかった。
でもこの中では岩盤浴が一番のお気に入りでした。
よもぎ蒸しに出会う
ある日、街をウロウロしていたら「よもぎ蒸しオープン」というのぼり旗に出会いました。
「よもぎ蒸し?なにそれ…。」旗を見ると、女性が裸でポカポカしているようだ。。
なにせスマホもない時代。「よもぎ蒸し」も今より知られて居ない時代です。なんの情報も得られません笑
それでも”どう見ても温まっている”ので、迷わずお店に突撃しました。とにかく自分に合うものいいものを見つけたい。そんな一心です。
1回目蒸した感想は「す、す、すっごいあったまった!!!」でした。
もう感激!カラダが動く!お肌に血色が戻った!
こんなにカラダが温かいと、こんなにも軽く”動ける”んだって。
そして週に2回通い出しました。
週に2回も行ったらお金が大変?それよりも体が不健康でいることで、誰かと会う時間、どこかへ行ける時間がなくなるほうがよっぽど大きな損失と思いました。
事実本当にカラダが冷えてて行動力が落ちてたんです。
黄土100%のよもぎ蒸しに出会う
最初に週2回通って居たお店は”木製のよもぎ蒸し”のお店でした。
その後今私がお店で取り扱っている”黄土100%”よもぎ蒸しに出会います。
1度蒸しただけで、熱くならない、顔も真っ赤にならない、カラダの芯から本当に骨まで温まる感じを体感。
「これ、買えますか!?」と聞き、たった1度で”おウチ黄土よもぎ蒸しセット”の購入をしたんです。
高いなんて思わなかった。サロンへ行くほうが予約合わせたり、交通費や時間かかるから、それってめんどくさいって思ってました。とにかくめんどくさがりだから…笑
家に置いてからは毎日蒸してました。
蒸したい時に蒸せる!
それが私にはとても合っていました。その日の心持ちもその日のスケジュールも、日々違うから。
生理の質が変わる。ドロドロが出ない
生理のとき、ゼリー状の血の塊が出る人いますか?私はそれでした。
そして量も異常に多い。
それがまず、ゼリー状なんて出なくなりました。濃い色だった血の色も鮮血色になっていきました。
本当に驚きました。
「あ、、これが普通の生理なの?」と。
他の人の生理を知らないのだから、生理の正解なんて知る由もなかったんです。誰も教えてくれなかった時代ですしね。
それと同時に痛みも和らいでいきました。
「あれ?お薬飲まなかった…!!」生理中にふと気づきました。痛くないからお薬飲んでない。。!
あんなに毎月飲んでいたのに。毎月罪悪感とともに飲んでいたのに。こんな日が来るなんて。。
周期も正しく、ゼリー状もなくなり、黒っぽい色も明るい色になり、痛みもお薬なんていらないくらいになれた。
婦人科再受診
実は生理が激変して、痛みもなくなったので再受診しなかったんです。
今となればちゃんと行って数値で確認してそれが残っていたら一番よかったんですけれど、でもここで嘘もつきたくないのでね。。
子宮内膜が子宮の外にできるものだから、生理が正常になって痛みもなくなったてことは、子宮内膜症もいつのまにか治ってしまったんだろうと思っています。
それ以外、考えられないし考えようがない。
そうして私は毎日の暮らしがラクに動けるようになり、友達と行きたいところへ行けて、生理の日だからとスケジュールを無理にズラさなくてもよくなりました。
黄土100%のよもぎ蒸しに出会えてからの私の生活は激変したのは間違いないです。
あきらめたら人生詰む
黄土100%のよもぎ蒸しが与えてくれたものは、もはや私の人生を語る上では離せないものです。
あの時、”生理はこういうもの””冷えてるけれどこういうもの”と、自分を見ずにあきらめていたら、私はきっと今頃色々な不調に悩まされているんじゃないかと思います。
今は51歳で生理もないけれど、更年期症状もなく、風邪もひかず、インフルエンザにもかからず、行きたいところへ行ける。
動ける時には”まだ動けちゃう”から先を考えられないのは当然かもしれない。でもその動ける間に自分にたいしてして出来るケアが、数年後の自分を作る。
よもぎ蒸し屋は何もできない
日本人女性の多くが「自分を後回し」。
それはとっても優しいんだと思う。とっても愛に溢れてるんだと思う。
だけれど、あなたが元気じゃなきゃ!その上である優しさと愛でいてほしい。
あなたが笑顔なら、周りの人たちも嬉しい。
巡り巡ってみんな幸せ。
私は生理痛と子宮内膜症でツラい時代を過ごし、黄土よもぎ蒸しに出会って人生変わった。
だから今黄土よもぎ蒸し屋さんをやってるんだと思う。
本当に良いものを私と同じようなツラい想いをしている人に届くようにしたい。
私は困っている人になにもできない。黄土100%のよもぎ蒸しができる場所を提供できるってだけ。
変えるのは自分、変わるのは自分、変わるよう行動するのも自分。
自分の判断が未来の自分を変えていく。
女性がいつも笑顔でキラキラ過ごせるようになれたら、日常が、家庭が、周りが変わる。
健康でいて、笑顔と優しさが最大限に活かされるような世界を作れる一つの道具。その道具の中でも最高にホンモノ。それが黄土100%のよもぎ蒸しだと思っています。